3/19 狩猟トーク時に幡野氏が撮影した写真
- 2016/03/24
- 23:19

先日開催した狩猟トーク&参加者交流会にて、写真家で猟師の幡野広志氏よりいただいた写真を一部公開します。
幡野氏はプロの写真家なので、当然のことながら本来は、お金を払って写真撮影していただくわけですが、特別なご好意で、トークショーの対談相手だったライターの東雲氏と私にタダでくださいました。
自分だけで見るにはもったいないので、多くの人に見てもらいたいと思って公開します。
冴えない三十路サラリーマンの私ですらも、映画のカットのように撮影していただいております。
Twitterのプロフィール画像にしちゃいましたよ。
今回の狩猟トークのキッカケとなった、”狩猟で仕留めた獲物”の写真はありません。
3/19狩猟トーク当日に撮影した写真のみです。
私個人としては、幡野氏が撮影された写真は、狩猟で仕留めた獲物や解体シーンであっても芸術だと感じます。
言葉にすると、
『キレイだなぁ』
『センスあるなぁ』
『オシャレだなぁ』
という感想です。
狩猟で仕留めた獲物や解体シーンは、見る人次第では、動物の死骸です。
死体という言葉の連想からは、「グロい」や「気持ち悪い」という感想になるでしょう。
センスあると感じる私など、変質者になるでしょうね。
狩猟トーク当日では、幡野氏がこれまで撮り貯めた、動物の死骸も含んだ狩猟に関わる写真を、プロジェクター投影で相当数紹介してくださいました。
いつかそれら狩猟に関わる写真のみで、個展をやってほしいですね。
今回の狩猟トークは、言わば、
『「仕留めた獲物の写真」と見るか、「動物の死骸を晒しものにした写真」と見るか』
が、論点だったと考えています。
私は、幡野氏とも東雲氏とも友人なので、どちらかの肩を持つということは意識しませんが、東雲氏は動物の死体の写真には芸術性はないとの考えのようですので、私の考え方としては幡野氏よりなのでしょう。
芸術か否かというのは、ゴッホの絵の多くが死後に評価されたように、時代により見方が変わるものなので、結局その人の見方次第なのかもしれませんね。
ただ、私の場合、仕留めた獲物の写真を撮ることは、遺影写真の意味を込めています。
多くの狩猟者がそうだと思いますが、自分で仕留めた獲物ことは忘れません。
合わせて写真も一緒に残したいものです。
仕留めた嬉しさもあるから、SNSなどで公開してしまいますがね。
また、意味はだいぶズレてそうですが、人間の場合、お亡くなりになり納棺する前に、「死化粧」をしますよね。
仏教的な考えですが、美しく故人を死後の世界に送るように、仕留めた野生動物も美しいお肉にしてお腹に送りたいです。
ということで、幡野氏には今後もどんどん狩猟時の写真をWebで公開してもらいたいです。
2016/3/19 幡野広志撮影
























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