初の親子キャンプで「死に方」について考えまくった NaturalHigh!2018
- 2018/06/07
- 05:42
2018年5月26日~27日 野外フェスイベント「Natural High! 2018」に参加しました。
3年連続3回目のこのイベント。
今回は参加の目的が2つあり、
一つは、
「3歳になった息子と“二人”でテント泊」
もう一つは、
「ニワトリ解体ワークショップを成功させる」
というもの。
一つ目の目的は、息子が生まれた時から楽しみにしている、父と子2人でのキャンプや登山、狩猟といった遊びの練習ですね。
あえて母親は抜きにして、父と子でキャンプで焚き火の前で男同士の会話をするというのに憧れておりまして、「三つ子の魂百まで」という諺に習って3歳になったら息子と二人でテント泊をしようと考えておりました。
二つ目の目的は、昨年の「Natural High! 2017」にて、道中で拾ったアナグマの轢死体で解体ショーをやったところ、大変盛況。
「来年もやってほしい!」
「解体を自分でもやりたい!」
というお言葉をいただいたので、その希望に応えたいがために、実現したものです。
昨年のイベントの様子はこちら↓↓
野外フェスでの「解体ショー」が大盛況だったことを考える
フェスイベントでニワトリの解体ワークショップなんて、そもそも運営側からOKが出るなんて思ってもおりませんでしたが、我らがLDV代表の河野氏の頑張り、そして運営側の寛容さがありOKをいただけました。
そして、二つ立てた目的のうち、このニワトリ解体ワークショップは大成功でした。

ワークショップ終了後、ご参加いただいた皆様との記念撮影
しかし、ワークショップばかりに気を取られ、息子と予定していたことが全然できなかった。。。
子供と楽しめるお店巡り、野外で一緒に料理、バームクーヘン作りなど。
山梨道志村NaturalHigh!へのイベント出店&初の親子キャンプ。
— イクメン猟師Ogawa (@TaketoOgawa) 2018年5月28日
ニワトリ解体ワークショップの準備でワタワタしてしまい、息子の相手も料理もみんな仲間にお任せする形となってしまった。
ただ、息子は『きやんぷ、たのしい』と終始言っており、料理は最高に美味しく、素晴らしい想い出になりました◎ pic.twitter.com/rpJOgkU0Tt
息子の遊び相手も食事の支度も全部仲間任せになってしまったのですが、息子は大満足の二日間だったようで、翌日は保育園に行きたがらず、キャンプに行くと駄々をこねたというので、結果オーライの形にはなりました。

仲間が作ってくれた料理① 左から、マリネサラダ、パエリア、スモークチキン、シカ汁。どれも絶品。

仲間が作ってくれた料理② クマ肉のスキヤキ
ただ、タイトルに書いた通り、初の親子キャンプで「死に方」について考えまくったので、僕自身は親子キャンプを全力で楽しんだのかというと、ちょっとシコリが残った感じではあるのです。
一体、なんだって親子でフェスに参加しておいて、「死に方」を考えることになったのか。
今回、イベントプログラムにあるトークに、LDVから代表の河野氏とスタッフである僕と野口君が出させていただきました。
そのトークでは、自分たちが出店したニワトリ解体ワークショップについての話をさせていただいたのですが、屠殺の話題から、「鳥葬」の話へと移り、最後は“幸せな死に方とは?”という死生観の話になったのでした。

パパの話よりも遊びな息子
鳥葬の話を語ったのは、LDVスタッフの野口君。
彼は10年来の僕の友人で、ブラジルで屋台を出して荒稼ぎする串焼きの腕前と力仕事が出来てコミュニケーション能力が高いので、イベントを手伝ってもらっています。
今回、トークに一緒に出たのは、代表河野氏が野口君の話は面白いから、一緒に登壇しようとお願いしたからです。
野口君はアジア一円とアメリカ大陸を旅した経験があり、その旅で鳥葬を見たことがあるそうです。
鳥葬の文化的・歴史的背景については省きます。
ネットで検索すれば沢山出てきますし、動画もありました。
僕は野口君の語った鳥葬の話を聞いて、衝撃的でしたが、理想的だとも思いました。
話はこうです。
野口君がチベットを旅した時に、鳥葬が見れるとの話を聞き、そのお寺の僧と遺族にお願いをして見せていただくことになった。
快諾してくれたあたり、そのような文化なのだろう。
それまでなんとなくイメージしているものは、檀の上に寝かせた遺体をハゲワシ達が群がって時間をかけてつつき、骨だけになるものだと思っていたが、全く違った。
専門の職人が、ハゲワシ達が食べやすいように、鉈で体を細切れにし、さらに食べやすくこん棒で叩く。日本人が好きなタタキのように食べやすく滅多めたに叩く。
上空では、一帯に影を作るほど大勢のハゲワシ達が今か今かと旋回している。
想像を絶する衝撃の光景に、嗚咽しかけて目を背けたかったが、遺族は涙を流しながらその光景を見つめ、僧は御経を唱えている。
自分から見せてくれと頼んでおいて、途中退出するのは遺族に失礼だと思い、最後まで見届けた。
食べやすい状態となると、職人が合図のようなしぐさをした瞬間、上空からハゲワシ達が急降下し、争うようにがっつき始めた。
瞬く間に骨となるが、その骨さえも細かく砕き、跡形もなく遺体はなくなった。
ハゲワシ達は皆活力がみなぎったような表情になり、大空に向かって力強く羽ばたき、隊列を組むように悠然と飛び立っていった。
その時の空の高さと、太陽の光の強さ、そして遺族の涙を流しながらも微笑ましい表情は忘れられない。
話を聞いて、僕自身も持っていた鳥葬の知識とは大違いで、最初はショックを受けました。
しかし、よく考えると、僕が理想としている葬り方です。
狩猟の世界では、「喰い供養」という、獲物を食べて供養するという考えがあります。
仕留めた獲物を食べて己の血肉としている。
そのお礼として、自分が死んだらその肉を山の動物に食べてもらいたい。
狩猟を始めてからこのような考えを持つに至りました。
法律的にはNGですが、生物世界としては真っ当なことです。
トークでは、鳥葬の話の後、幸せな死に方についての話となりました。
僕は半年ちょっと前に、同い年のパパ友が末期がんになったことをキッカケに、死について物凄く考えてきました。
人は“いつか”は死ぬわけですが、現時点での僕の持論は、「死ぬ時を自分で決めたい」。
愛する家族や友人と結婚式のようなパーティーをして、見送られながら死にたい。
突然パタッと死んで、家族や友人があらゆる予定をキャンセルしてお通夜にくるような迷惑をかけたくない。
しかし、自分で死ぬ時を決めることのできる社会にするためには、山ほどの問題・課題があるし、すぐには無理。
終活サポートを行ってくれ、死パーティをプランニングする会社が誕生しないと無理。
少子高齢化、人生100年時代と言われる今、死についての倫理観も変わってくるのではないか?
終活サポート、死パーティ。
具体的サービスとしては、自治体、弁護士、精神科医、旅行業、飲食業などのサービス業界から葬儀屋まで関連することになる・・・。
と、あれやこれやと考えだして、家に帰りついてまでなお考えてました。
今現在では、「死に方」について、いろんな人と意見を交わしたいという考えになっています。
よって、こうしてブログを書いたわけでございます。
LDVはこれまでいろんなイベントをやってきたので、もしかしたら、
「死について考える」
なんてワークショップが企画されたりするかもしれません。
人はいつかは死にます。
どう死にたいのかという死生観は、誰しも持っておいた方が、自分により向き合って“今を生きる”ことができるのではないでしょうか?

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